有限会社 赤塚製作所

φ550までの円筒・フランジ複合加工 岐阜県の金属機械加工なら赤塚製作所
058-273-6185   
  
     ▶ ENGLISH
トップ > 会社情報> 社長コラム

はじめに


はじめまして、有限会社赤塚製作所の代表取締役 赤塚健次と申します。
コラムまでご覧いただきありがとうございます。

まずは、簡単に経歴を紹介させていただきます。

・1982年、岐阜県岐南町に赤塚製作所創設者の次男として誕生
・岐南西小学校、岐南中学、県立岐山高校理数科を卒業
・愛知県清州市にある中部日本自動車整備専門学校(現トヨタ名古屋自動車大学校)に4年通い一級整備士の資格を取得
・トヨタカローラ岐阜に就職
・西田ファクトリーBを経て赤塚製作所へ


今の仕事に就くエピソードを少し。

経歴を見て頂くとおわかりのように、当初は最初は赤塚製作所を継ぐ予定はなく、自動車業界での独立を考えていました。

そんな中、専門学校3年の初夏、土曜日の朝に先代から「仕事を手伝ってくれないか」と言われました。
高校や専門学校の夏休みに時々仕事を手伝って(といっても取り換え要員のバイトですが)いましたから「いつ入ればいいの?」と返事をしたわけです。
当然バイトの話だと思っていました。

しかし「バイトではなくて、将来的に」と返ってきました。

朝の寝ぼけた頭の時に、なんという話をするんだと思いました。
少し時間をくれと返事をしてバイトへ行きました。

しばらく考えて、これまで高校時代までの塾やその後の浪人生活で金銭面で負担をかけたのに結局大学に行かなかったことを思い出し、「どうせ将来独立するんだし、車は趣味でさわって、親孝行として会社を継ぐのもまぁいいか」と、まだ当時22歳の私は軽い気持ちで会社へ入ることを了承しました。

卒業後、『3年は他人の飯を食べてくる』ということで、カローラ岐阜様や西田ファクトリー様にお世話になりました。
3年の予定でしたが、当時リーマンショック前の好景気だったこともあり2年で入社することになります。
そしてその1年半後、当時100年に一度の歴史的不景気といわれるリーマンショックを経験することとなります。入ってまもない時に絶頂期とどん底を知ることとなりました…
今としては良い経験になっています。

続きはまたの機会に。


電話をかける お問い合わせフォームへ